ジュリー下戸の歌舞かれて東京

歌舞伎のイヤホンガイド解説員になるのが夢のイチ歌舞伎ファンが書いているブログ

三月大歌舞伎を観てきました

こんにちは、ジュリー下戸です。

すっかり時間が経ってしまったのですが、3月に観た歌舞伎の感想を書こうと思います。本当に、今思い出しても目頭が熱くなる、本当に素晴らしい舞台でした。よくこのセリフを口に出すのであんまりありがたみがないのですが、「生で観れて良かった!!」という気持ち。

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わたしが観たのは、昼の部の2幕目「義経千本桜 渡海屋 大物浦」。続く「どんつく」も観たのですが、こちらは何も考えずにキャッキャと楽しんでいたので、今回の記事は「千本桜」の方に特化して書きます。それも、後半の「大物浦」の方メインで。

とにかく、鑑賞中は本当に色々な思いが頭を巡ってしまい、目からも鼻からもむちゃくちゃ液体流しました。マスクをしていたのですが、鼻水でマスクが透けるくらい出ました。思うことが多すぎて頭が混乱して、関連書籍も読んで、ようやく文字に残しておけるくらい冷静になりました。

台詞もバッチリ入っている上、役者のインタビューなんかも載っている。2018年版で出してほしい。

 

あらすじ

渡海屋

都を追われた義経中村梅玉)一行は、兄の討手から逃れ九州へ向かう船を待つため、渡海屋(とかいや)という船問屋の奥間に身を潜めている。義経を匿ってくれている主人・銀平(片岡仁左衛門丈)の「船出日和だからそろそろ行きなよ」というすすめに応じる義経一行だが、どう見ても荒れそうな天気。大丈夫かよ。

義経たちが船出した後、銀平が真っ白な貴族の服を着て出てくる。実は銀平、世間で死んだと思われていた平知盛(たいらのとももり)!娘というテイで住んでいた女の子お安(市川右近)は、実は女帝・安徳天皇だし、嫁お柳(中村時蔵)はその乳母、典待の局(すけのつぼね)...という、平家の生き残り3人組。一門はすでに壇ノ浦でめちゃくちゃにやられていたので、銀平は船問屋に身をやつし、義経(いずれは頼朝も)を討つ機会を待っていたというわけ。「義経殺ってくる。勝つとは思うけど、もし負けたらその時は、覚悟を決めるように」銀平はそう言い残して、幼い帝を乳母に託し、部下とともに海へ出ていく。

大物浦

自信満々だった銀平だったが、実は義経にはまるっとお見通し。奇襲をしかけたつもりが、義経たちは戦の支度ばっちりで待ち構えており、あっさり返り討ちにあってしまう。もはやこれまでと覚悟を決めた典待の局と帝は、入水自殺しようとするものの、義経と四天王にとめられてしまう。

一方、討たれちゃいなかったもののもう今にも死にそうなくらいやられた知盛。そこに帝を連れた義経が現れ「帝はわたしが守ってあげるから、安心しなよ」と言う。舐められたと思った銀平「源氏に良くされる覚えはない、とにかく一太刀浴びせないと気が済まない」と食い下がるも、帝の言葉と典待の局の死によって、義経に帝を託す決意をする。

義経を襲ったのは、知盛の亡霊だって言っておいてくれ。うっかり上がってこないように、ちゃんと沈んでおくから」知盛は体に碇をくくりつけ、そのまま海に飛び込み、二度と上がってこなかった。

悲しい男、平知盛

仁左衛門丈演じる平知盛は、源氏への復讐に執着する平家の生き残り。知盛は平清盛の実の息子です。父が栄えさせた平家一門をほぼ壊滅にまで追い込んだ源氏には、並々ならぬ恨みがあります。

歴史上では、知盛は壇ノ浦で平家滅亡を悟って入水したことになっている。そんな知盛が実は生きていて、打倒源氏に燃えていたら?というのがこの物語の設定。とうとう知盛にツキが回ってきて、義経はまんまと渡海屋にやってくる。知盛は、貴族のお召し物である狩衣を、オールホワイトコーデで纏って再登場してくるのですが、これは「知盛が生きていることがバレたらのちのち厄介だから、義経を襲ったのは知盛の亡霊ってことにする」という計画からのこと。

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ただ、そんな美しき亡霊の装いは、後半にもなると見る影もなくなってしまいます。血にまみれ、髪の毛も振り乱し、顔には青い隈がくっきりと。生きながらにして、悪霊のような姿になって、知盛はただただ義経を討つことだけに執着します。狩衣、美しかったのに...と、かなりショッキングな変化でした。それだけ戦いはすさまじく、平家は本当に滅亡するしかないのでしょう。知盛も、もう平家再興は無理だと悟っている。今はただ、憎き義経を殺す、それだけのために生きている、怨霊のような状態なのです。

右近ちゃんが神聖すぎて怖い

市川右近ちゃんは、このとき6歳。安徳天皇も、物語上では8歳ということになっていますが、数え年ということで右近ちゃんと同い年なのだそうです。舞台で、大きな仁左衛門丈と並ぶ右近ちゃんは、どこか遠い目で微動だにせず、でもたしかに存在感を持って立っていました。帝の拵えで、誰かに抱っこされているときでも、背筋をすっと伸ばして微動だにしない。もちろん、自分の足で立っていても、頭がチョイとも動かない。なんなんだこの子。只者じゃない。わたしは前職で、一生分くらい子供と触れ合ってきたけど、こんなたたずまいの子供など見たことがありませんでした。仁左衛門丈に上座を譲られ、頭を下げられていて当然のような気持がするたたずまい。

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そんな安徳天皇にも、年相応のセリフがあります。知盛が死に、典待の局に入水自殺を促される場面。幼い帝に乳母は「この国はもう源氏ばかり、波の下の極楽浄土は、結構な都だから、行ったらいい」と言います。それに対し「それは嬉しいけれど、あの恐ろしい波の下に、一人だけで行かなきゃいけないの」。まだ死を具体的に認識していないのです。典待の局が「どこまでも御供します」と答えると「そなたさえ行きゃるなら、いずくへなりとも行くわいな(あなたさえ行ってくれるのなら、僕もどこへでも行こう)」。曇天の空、明かりの消えた海をバックに、澄んだ楽器のような声で右近ちゃんが言うのです。泣くに決まっています。わたしが泣くのと、舞台の上で官女たちが泣くのが同時でした。官女たちは「安徳天皇の道しるべに」と言って、次々に海に飛び込んでいきます。

美しい貴族の女性たちが、はっとするほど鮮やかな色の召し物を翻し、あまりにあっけなく海へ飛び込んでいく。死生観の違い、時代の違いはあろうとも、悲しくむなしく、それでも「死ななくてはいけない」という状況に説得力があるのは、間違いなく安徳天皇の存在があるからこそ。

この安徳天皇、歴史上ではやはりこのまま入水して死んでいるのですが、ここは「義経千本桜」。義経が自殺を阻止します。かっこいい。

戦いの終わり、知盛の救済

もう、義経には勝てない。自分はここで死ぬ。自分が今まで必死にまもってきた最後の希望、帝も義経の手の中にある。それでも、知盛は戦わなくてはいけません。源氏に敗れた家族や仲間たちの仇を目の前にして、降参などしてはいけない。弁慶がせっかく数珠をかけてくれたのに「恨み晴らさでおくべきか!!」血走った目、逆立った髪、もう知盛は、平家の呪いに取りつかれた悪霊そのものです。

そんな知盛を見ていた安徳天皇が言います。

「今まで私を守ってくれたのは、お前の情け。今また私を助けてくれているのは、義経の情け。仇に思うな、コレ知盛

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この言葉を聞いて、典待の局は自害します。自分がいたのでは、知盛の遺志を帝に継がせて義経を討とうとするのではと、義経家来の間に余計な推測を生んでしまい、殺されてしまうかもしれないから。乳母として、幼い天皇をひとり遺していくことは、心苦しかったに違いありません。それでも、典待の局は"義経を信じた天皇を尊重した”のです。

安徳帝の言葉で、知盛の今まで信じてきたものはすべて崩れ、それと同時に呪いも解けたのだと思います。平家の呪い。壇ノ浦で生き残り、家族の、父の無念を晴らすためだけに生きてきた知盛は、安徳帝の言葉で救われたのだと思いました。知盛は、まるで走馬灯のように戦場のすさまじい様子をぽつりぽつりと語り、義経に帝を託すと、

昨日の仇は今日の味方、あらあらうれしや、ハハハハハ、心地よやナ

戦いに敗れた口惜しさ、己の運命の惨さ、仇討ちを果たせなかった無念さ、そして帝を託せたことへの安堵。知盛は泣き笑いします。もう悪霊ではない知盛に、人間としての感情がどんどん流れ込み、涙になって落ちていく。けれど、もう知盛の命の終わりはすぐそこまで来ています。幼い安徳帝にも、それが分かります。知盛とは一緒に行くことはかなわないのです。

「知盛、さらば」安徳帝の毅然とした声が、死に向かう知盛へかけられます。

知盛の死

帝に別れの言葉をかけられ、今は味方となった義経一行に見守られ、知盛は大きな碇を体に巻き付け、海へ沈んでいきました。「海の上で襲ってきたのは、知盛の亡霊だということにして欲しい」これが、知盛の願いでした。

f:id:jurigeko:20170426224839j:plain碇の方が先に沈むのにな、間違えた...

壇ノ浦で死んだと思われていた知盛。自分を、そのまま死んでいたことにしておいて欲しいと言うのです。知盛の人生って、戦いの中で生きる人生って、人って、なんて儚いのだろう。美しい仁左衛門丈が、碇を空へ掲げる姿に、涙があふれました。戦争はむなしく悲しい。戦争に限らなくとも、特定の相手に対する恨みだけを頼りに生きているとき、どこかで相手を信じることができるだろうか?そのときは来るのだろうか?安徳帝のように、ニュートラルで無邪気で残酷に、「仇に思うな」と言ってくれる人がいたら?

そんなことを、ぐるぐる考えながら、弁慶のほら貝の音に耳をすませているわたしなのでした。

年の差67歳

片岡仁左衛門丈は、超絶セクシー73歳。対する右近ちゃんは、なんと6歳(先日、入学式に向かう右近ちゃんの写真が週刊誌に載っていたのを知り、そうか...まだ幼稚園児だったんだ...とゾッとした)。ふたりの年の差は67歳

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右近ちゃんは、名前を襲名し役者として歩み始めたところ。一方のにざ様は人間国宝。けれど、役でいうと右近丈の方が立場が上なのであり、仁左衛門上座を譲る役。驚いたのは、「ちっちゃいのにがんばってすごい♡」なんて空気にならないところ。右近丈がただ立っているだけで、空気が張り詰めるような、特別な存在という気持ちがする。そして、仁左衛門丈も(プロだから当たり前なんだろうけれど)右近丈に対して最大限の敬意を払ってストイックに演じているように見えました。舞台の緊張感が、子供のかわいさで途切れてしまうことが、絶対にない

先日観た「二人桃太郎」のように、劇場全体が子供にメロメロになってしまうような舞台も素敵だったけど、右近ちゃんの飄々と浮世を離れてしまうような、にざ様と並んでも微笑ましく見えない(褒めています)あのたたずまいに圧倒される舞台も、またオツなものです。

あと、これは書かにゃあと思っていたので書きますが、坂東巳之助丈の相模五郎が良かった...かっこよかった...魚づくし、楽しかったです。LINEで相談したのかな(いまじナイトネタ)。

 

ジュリー下戸でした。ありがとうございました。