ジュリー下戸の歌舞かれて東京

歌舞伎のイヤホンガイド解説員になるのが夢のイチ歌舞伎ファンが書いているブログ

心のこわしかた《前編》


こんにちは、ジュリー下戸です。
ブログタイトルでもある「底辺会社員」になって、一週間が経とうとしています。

このブログを始めていちばん最初の記事で、わたしが底辺会社員になった理由にチラッと触れました。

入社3年で管理職になったものの、性格が災いしたのか体調を崩してしまいました。

退職も考えましたが、降格を願い出て、体調を改善することに専念する決断をしました。つまり管理職を降りて、平社員に戻るということです。収入は減りますが、健康には代えられませんものね。

わたしには、働く上で、個人的に作った決め事があります。

  1. あいさつは自分からすること。
  2. 約束を忘れないこと。
  3. 感謝の気持ちをきちんと表現すること。
  4. 分からないことは素直に申告し、後輩にもためらわず教えを乞うこと。
  5. 明るくいること。

突然に管理職を辞し、新入社員と同じ土俵で仕事をし始める中堅社員。扱いにくいに違いありません。そのみんなの「コイツにはどう接すれば良いのだろう」という気持ちに気づかないフリをして、つとめて明るくふるまい、自分の仕事をきちんとしようと思っています。それが今のわたしにできる精一杯の労働スタイルだからです。

おそらく、裏で色々言われています。耳には入ってきませんが、そんな気がします。でも、上記の決め事を守っていれば、おそらく会社に居場所はあるはず。そう信じて、今日も仕事に出かけました。

わたしは「成績の良い」管理職でした。入社3年目で抜擢された、売り場の新人責任者でしたが、前担当者の努力の結果か、わたしが責任者になってからの成績は右肩上がりでした。

でも、特筆すべきことはなんにもしていなかったのです。日々のやらなくてはいけないことを1つ1つこなして、部下(ほぼ先輩)の様子を見て、何かがあったときに矢面に立つ。必要最低限のことをやり切るのに精一杯で、斬新な企画とか、顧客の分析をすることなど、一切しませんでした。管理職に就くことが決まったとき「わたしなんかに良い成績など出せるはずがないから、管理職などやりたくない」とごねていたのですが、それでも、偶然、たまたま、成績が良かったものですから、わたしはその立場のまま一年を過ごすことになります。

クレーム対応は、本当にキツかったです。お客様の家まで行って「あなたの顔など見たくない」と言われたり、ほかのお客様の前で「あなたで店長?話にならない」と言われたり、ひどい時は「何その顔」と容姿をなじられたりしました。往々にして、わたしがそういう目に遭うのは「わたしは何も悪くない」事柄についてでした。責任者だからって、どうしてここまで言われなきゃいけないんだといつも思っていましたし、ほかの人の責任を取るという役目を不快に感じていました。

わたしは心が狭いので、ミスをしたスタッフを心底恨みました。でも、気が弱いので、ミスをしたスタッフを責められませんでした。「お前が菓子折り持って謝りに行けよ」と思っても「大丈夫ですよ、わたしがやっておきますから!」、「あんなに怒らせて、一体どうしてくれるの」とは言えず「次から気をつけたらいいじゃないですか、誰でもしうるミスですよ、それがたまたま○○さんだっただけですって!」。思ってもいない優しい言葉をかけ続け、それによってわたしは「責任感のある優しい人柄」を形成していきました。

そこで、うまく折り合いを付けられたら良かったんですね。内なるわたしと、管理職のわたしがうまく別離できて、管理職のわたしが受けたストレスを内なるわたしが毒を吐いて浄化できればよかった。でも、わたしはそのふたりをごちゃまぜにしてしまった。わたしは上に立てるような器ではないのに、こんなにもクズなのに、社員としての評価ばかり上がっていく。給与も上がり、順調にキャリアアップをしていく、会社は小さいながらも社会人として充実していたはずなのに、心はどんどんこわれていきました。そんなある日、事件が起きました。

忙しい日曜日のことです。トラブルが続き、わたしは自分の小さな脳みそをパンク寸前まで追い込みながら仕事をしていました。そして、何かのはずみにポロッと「今ちょっとキツイので」と言ってしまったんですね。

それを聞いたスタッフから「こっちも相当しんどいです」と返答がありました。そりゃそうです。その状況じゃ、当たり前の返答でした。でも、その答えに、わたしの心の中にずーっと張っていた糸か何かが、音を立てて切れたような感覚がありました。作業の手がとまって、呼吸ができなくなり、体がぶるぶる震えました。そして、


わたしは2階にあるバックヤードへ引っこもうとしましたが、足が動かず階段の中腹で倒れ込んで、そのままのどを時々ぜえぜえ言わせながら絶叫しました。髪をかきむしって、涙も鼻水も涎も拭わずに。

どうしてこんなことになってしまったんだろうと、泣きながらもどこか冷静な頭のすみっこで考えていました。どうして、と言いつつ、いざ振り返って見れば思い当たることばかりでした。

失敗は許されない、と思うと、心配で会社から出られませんでした。終えた仕事を、何度も何度も見直し、これで本当に大丈夫なのかと心臓をドキドキさせながら怯えました。仕事が19時に終わっても、会社を出るのが22時を過ぎることがしょっちゅうありました。

家に帰ると、何がどうということはなく悲しくなって、赤ちゃんのように声を上げておんおん泣きました。泣き止んでも、折にふれて涙がぽたぽた落ちました。

胃がいつもシクシクと痛み、今まではなかった電車酔いをするようになりました。営業中に、こっそりトイレで吐きました。耐えられないときは早退までしました。

頭痛が酷く、内科と耳鼻科と脳神経外科へ行き、MRIまでしました(怖くてしくしく泣きました)が異常はなく、偏頭痛持ちということになりました。夕方を過ぎると、眩暈をともなう頭痛が頻繁にやってくるようになりました。妊娠もしていないのに、生理が3ヶ月来ませんでした。忌み嫌っていた自傷行為に思いを馳せ、いつでも死にたい気持ちでした。

けれど、それでも表向きはなんとかなっていたのです。なんとかなっているし、なんとかならなくなったらその時に泣きつけば良いと思っていた。どうせみんな苦しいのだ、みんな同じ思いをして、なんならわたしより苦しい人が世の中には沢山いるのだ.............そんなことを考えながら働いていたら、いつの間にかお客さまもスタッフもいる日曜日の混雑時に、取り乱して錯乱して髪をかきむしりながら絶叫して号泣するまでになってしまっていました。

それまでの間に、わたしは幾度も「仕事を辞めよう」とか「長めの休みをもらったらどうか」とかいう助言を受けました。けれど「生活していけないから」とか「店が困るから」とか言って、まともに取り合わなかったんですね。今となっては、あの時になんとかしていれば...なんて後悔もできますが、その頃は本気で「わたしの心が狭いからこんなに嫌なだけで、ほかの人はこれくらい平気、わたしも給料をもらっているのだから、ほかの人と同等にならなくては」と信じていました。

《後編へつづく》